関ケ原笹尾山交流館スタッフブログ

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千社札武将紹介

こんにちは!!!
ミッチーです

今日は先日紹介した千社札より4名をピックアップし簡単に紹介しようと思います

まず一人目は「前田玄以」です

ん?関ケ原合戦関係なくね?って思った方もいらっしゃるかと思いますが、千社札72種のなかで関ケ原の戦い自体に参戦していない武将も含まれています(東西どちらか付くか表明しているのを含む 例:伊達正宗 東軍)

玄以は五奉行の一人で西軍に付きました。家康と内通しており、合戦の時には大坂城にいました
普通は敗者は冷遇されますが、改易されず、五奉行の中では唯一死を免れた一人です

二人目は「可児才蔵」です

福島正則の家臣で、切り落とした首に笹を含ませ戦場に残しても誰のか分かるようにしたことから、「笹の才蔵」と呼ばれることもあります

簡単に言うと持ち切れないほど敵を倒したと言えますね

関ケ原合戦では17の首級を挙げたのはあまりにも有名な話です

三人目は「立花宗茂」です

宗茂は関ケ原合戦において西軍に付き、合戦時は大津城を攻めていました

秀吉に「東に本多忠勝という天下無双の大将がいるように、西には立花宗茂という天下無双の大将がいる」と言わせたほどの器量の持ち主であることが分かります

家康が一番恐れていたのは宗茂だったかもしれませんね

もし関ケ原に宗茂が参戦していたらと思うと・・・

最後に「結城秀康」です

秀康は、徳川家康の二男として生まれ、10歳の時に豊臣秀吉の養子となり、最終的に結城家の養子になりました

幼少期から波乱万丈な生き方をし、もし養子に出ていなければ秀康が2代目将軍になっていたかもしれませんね

知的な家康の息子からは想像がしにくいですが、天下三槍の一つ「御手杵(おてぎね)」を所有し、武勇に秀でていたそうです

関ケ原合戦時は、会津で上杉景勝を抑える重要な任を任されたのも頷けますね


千社札



とても簡単ではありますが紹介とさせていただきます

引き続き11月は千社札強化月間なので、よろしくお願い致します





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