関ケ原笹尾山交流館スタッフブログ

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ルポ① 笹尾山・石田三成陣地から島津義弘陣跡

関ケ原プロデュース事業の一つとして、2013年11月3日(日)に、歴史作家、武蔵野大学政治経済研究所客員研究員の桐野作人先生による関ケ原合戦ツアー、島津退き口編を開催しました。
主催は関ケ原町です。

内容は、およそ1日かけて、史上名高い「島津の退き口」をたどるツアーです。
ツアーはおかげさまですぐに満席になりました。
お申込みできなかった方、誠に申し訳ありませんでした。


関ケ原町小池地区にある島津義弘陣跡に行かれた方は多いかと思いますが、島津にゆかりがある、薩摩池や琳光寺、瑠璃光寺、白拍子谷まで行かれる方は、まだ少ないと思います。
ツアーの紹介により、関ケ原合戦について、またツアーの参加者のように、当時の面影をしのぶことを期待して、ブログにて数回、掲載することにしました。




なお、このブログを見て現地に行かれる方は、ルートの都合上、人家をぬって通ることも多かったので、その点、気遣いをしていただけましたらうれしいです。



数日前の予報では11月3日のみ天候が悪いということで心配していましたが、前日の予報では夕方まで天気は何とか持ちそうとなり、ホットしました。
雨が降らないことを祈りつつ、当日を迎えました。
当日の朝、なんとかもちそうな天気です。


関ケ原合戦 島津の退き口
午前8時10分集合、30分出発。
上の写真は、今回旅行実施となったツアー会社がプレートを持って集合を呼び掛けています。

参加なされた方は男女およそ半々で40名弱、20代の方から70代以上まで、幅広く参加されました。
島津が年代問わず、幅広く関心が高いことを感じさせます。
地域的にも愛知県を中心ですが、関東から、また九州、四国の方もおられました。


大型観光バスに乗り、途中一度、PAにてトイレ休憩をし、一路関ケ原町へ。
最初の目的地は、笹尾山・石田三成陣跡にある駐車場です。
左が笹尾山で、きれいな紅葉になりつつあります。
観光バスの後ろは、再現した馬防柵。
関ケ原合戦 島津退け口 笹尾山・石田三成陣跡



笹尾山駐車場で桐野先生の解説を聞きます。

なお下の写真を見て、お気づきになられるでしょうか!
右端にお見えになる足軽の畳鎧(たたみよろい)を来ている甲冑ボランティアの方が、本日島津の退き口のツアーがあるということもあって、
特別に石田三成の軍旗、「大一、大万、大吉」と書いていたのです。
感激です!!
ありがとうございました。


関ケ原合戦 島津退け口 笹尾山・石田三成陣跡 甲冑ボランティア

実は字を書くのが間にあわなくて、着いた時は書いておられる途中でした。

土日祝日には、甲冑ボランティアの方が石田三成の陣跡付近におられることがあります。
また関ケ原笹尾山交流館では、写真と同じ足軽の甲冑などを着て、関ケ原のまちを歩くこともできる甲冑体験を11月24日までですがやっています。
宣伝でした。



なお時間の関係で、残念ですが笹尾山には登れませんでした。
石田三成陣跡からは、絶景かな、関ケ原盆地全体をほぼ見渡せます。
笹尾山駐車場から5分もかからないので、再度来られたら、ぜひお登り下さいませ。
三成陣跡には、音声による合戦解説もありますよ。



関ケ原合戦 島津退け口 島津義弘陣跡
上の写真は、駐車場からやや下りた所。後ろは丸山方面。
笹尾山から、東軍が陣取った写真では右方向へは、なだらかな下り坂が続いています。
東軍が陣取った方は、現在関ケ原町役場や陣場野公園、住宅が立ち並ぶ市街地になっています。
この坂を上ってくることが大きな要因で、兵が多い東軍が苦戦を強いられたと説明されました。

笹尾山交流館スタッフの中に一人、関ケ原駅から自転車通勤をしている人がいましたが、坂道を上がるのは体重コントロールに有効だったとのこと、歩いてみると実感できます。
参考に、三成陣地の駐車場と並んでいる笹尾山交流館(旧関ケ原町立関ケ原北小学校)は標高163m、市街地の中にある関ケ原小学校とは、高低差40mだそうです。



関ケ原合戦 島津退け口 島津義弘陣跡
笹尾山から下って、国道365号をわたった所にある案内板。
関ケ原町には、まち中の各所にさりげなく、陣跡案内板があります。


関ケ原合戦 島津の退き口 島津義弘
上の写真は、作成時期が混ざった案内板です。
一番古いのは石の案内で、1938(昭和13)年3月に作られています。

義弘の陣跡に行く途中、失礼して、人家の間の道を通り、畑の横を通らせていただきました。
ありがとうございました。
まさに、「このまち、まるごと、古戦場」です。


下の写真は2番目の目的地、島津義弘の陣跡です。
ちょっとした林になっていて、実際には、先鋒の島津豊久がいたと言われています。
正面奥に、神明神社の社殿が見えます。
島津義弘の陣跡の裏に、神明神社があるということです。
関ケ原合戦 島津退け口 島津義弘陣跡 島津豊久


関ケ原合戦 島津退け口 島津義弘陣跡 島津豊久
島津義弘陣跡の碑。


関ケ原合戦 島津退け口 島津義弘陣跡 島津豊久
この石は、何かと言うと鹿児島県日置市(旧伊集院町)から関ケ原町に毎年こられて、島津の退き口のルートを歩かれる踏破隊が、1960(昭和35)年から、50回以上開催されています。
その参加した人の名前が彫ってあります。


桐野先生も一度、120㎞歩く踏破隊に参加したそうです。
なお先生はこの時、スズメバチの襲来で病院に担ぎ込まれたそうで、身をもって過酷な体験をなされました。


赤い陣羽織に島津家の家紋が入った笠、「チェスト行け関ケ原」の旗をもって4泊5日で、史跡をめぐりながら関ケ原から大坂城まで、青少年を中心に挑んでいます。
現在は、大垣市上石津町から滋賀県多賀町まで、歩くも困難な道を中心に島津越え(五僧峠)70㎞を、歩きで行っているようです。(参考;広報ひおき)


なお旧伊集院町は、義弘の菩提寺、妙円寺がある所です。
妙円寺は明治維新の時の廃仏毀釈によりなくなり、その地に徳重神社ができましたが、その後明治13年に、その近くに復興しています。



関ケ原合戦 島津退け口 島津義弘陣跡 島津豊久
義弘の陣跡は午後になると逆光で暗くなり、集合写真は撮りにくいのですが、この時は午前中でOKでした。
参加者全員で急きょ、記念写真を撮りました。
次は薩摩池です。

関ケ原合戦 島津の退き口 島津義弘 薩摩池

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