関ケ原笹尾山交流館スタッフブログ

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開戦地碑

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7月下旬の開戦地遠景。背後に見えているのは北天満山の山裾(すそ)です。

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緑陰の開戦地碑(昭和13年建立)。
開戦時、真っ先に剣を交(まじ)えた武将たちの幟旗(のぼりばた)が立ち並んでいます。


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開戦地付近に広がるのどかな田園風景。
北天満山東麓の放牧地では、やぎたちがのんびりと草を食(は)んでいました。

                       

関ケ原合戦の行われた1600年9月15日、当地は、朝から濃い霧に覆(おお)われていました。その霧も晴れやらぬ午前8時頃、東軍の先鋒(せんぽう)である福島正則(ふくしまなさのり)の隊の脇をすり抜けて最前線に躍り出た井伊直政(いいなおまさ)と松平忠吉(まつだいらただよし)の小隊は、そのまま宇喜多秀家(うきたひでいえ)率いる1万7千の軍勢に挑(いど)みかかりました。それを見た福島正則もすぐさま攻撃を開始。天下分け目の決戦の火ぶたはこうして切られたのです。

開戦地碑の前に立つと、小西行長(こにしゆきなが)や島津義弘(しまづよしひろ)の軍勢が踵(きびす)を接して陣を敷いていたことが分かります。果敢(かかん)に攻撃をしかける東軍と迎え撃つ西軍諸隊。開戦当初はむしろ西軍の方が押し気味に戦いを進めていたとも言われますが、いずれにしても、この比較的狭いエリアで数万の将兵たちが激闘を演じたことは間違いありません。

現在、開戦地碑の周辺に広がる田畑や山羊(やぎ)の放牧地は、当時の激しい戦闘の跡を留(とど)めることなく、四季折々、懐(なつ)かしい里山の風景を見せてくれています。

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