FC2ブログ

関ケ原笹尾山交流館スタッフブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

上石津(大垣市)の牧田から勝地峠まで残っている伝承③

一之瀬には、国指定の重要文化財、桑原家住宅があります。

桑原家は天文14(1544)年に、伊勢の阿下喜城(三重県いなべ市)から一之瀬に移り住み、信長や秀吉につかえ、関ケ原合戦の時には中立を保ちました。
合戦後は、尾張藩の在郷武士として返り咲きました。
残る家は今でも、「戦国の世を物語る別世界」を感じさせます。

関ケ原合戦 島津退け口 無名兵士の墓 大垣市上石津町一之瀬 桑原家住宅
桑原家住宅

桑原家は、合戦の時、西軍に加わった竜野城主、石川紀伊守の一子、太郎八を預かって育て、後に太郎八は家康に仕え、一万石の城主になります。
桑原家はそのため、尾張藩の在郷武士として返り咲くことができたそうです。
(「上石津 道をたずねて~歴史と文化のかくれ里(編集・発行 上石津教育委員会)」P14を参照)
なお竜野城は、他では龍野城とも表記されている所もあり、兵庫県たつの市龍野町にあった城です。
太郎八は幼名で、石川光忠(いしかわみつただ)になります。


旧国道365号の道より桑原家に至る道は、途中まで旧伊勢西街道で、コンクリートで岸壁を固め、「関谷」という地名がつけられた細い川が流れています。
桑原家に至る道は狭く、その景観は歴史を感じさせます。

川は過去に何度も氾濫したと、表示板にあります。
川沿いに祠が3か所あり、一見して氾濫に関係して作られたと思っていました。
特にきれいにされている祠に、隣接した家に住んでいる方に、お話を聞くことができました。

関ケ原合戦 島津退け口 無名兵士の墓 大垣市上石津町一之瀬
義母から受け継いで守っておられる祠

聞いた方は70歳以上の婦人で、小さいころから祠はあって、いつ頃からあるかはわからない。
嫁いできた先の自分の義母が、お地蔵さんがみすぼらしい感じであったので、宮大工に頼んできれいに祠を作り直した。
その後、義母からは
「私が亡くなった後は、形見と思って大事に守って欲しい」
と言われ、
「毎朝お花と、お経をあげている。可能な限り続けていきたい」
「この祠のおかげで元気に長生きができます」
と言っておられました。



前回のブログでお話を聞いた萩永さんによると、この辺りのお地蔵さんは桑原家が作ったものが多いのでないかということでした。
桑原家は大垣市ホームページによると、
「村内では賄庄屋も兼ね、植林を奨励し用水路引き田畑の開墾を始めました」
ということなので、領地内でも村人の信頼が厚かった方でした。

関連記事
スポンサーサイト

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。