関ケ原笹尾山交流館スタッフブログ

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上石津(大垣市)の牧田から勝地峠まで残っている伝承⑧

昭和61(1986)年から10年以上かけ、一之瀬地区の地籍調査が行われました。
萩永次郎さんは最初から最後まで立会って、その時に街道の道も確認したそうです。
手書きで詳細に書き込まれた、地積調査の報告書原本を自宅に大切に保管しておられました。
このブログを作るにあたって、参考に見せても頂きました。


前回のブログの続きです。
街道は現在歩いていけませんが、一度降りた小川から谷を上がると上石津中学校のテニスコート、また道の端に大きな木の切り株があります。

下の写真は上で述べた切り株。木の後ろに谷があり、ここまで上がってきた。
関ケ原合戦 伊勢西街道 島津退け口 大垣市上石津町一之瀬


上石津中学に隣接する道に出て、すぐに右に折れ、まっすぐ坂をあがって行きました。

下の写真は上の写真場所を、引いて撮った写真。奥の方が勝地峠方面に行く道。
写真の左側が上石津中学。
この付近、街道の面影は残っていません。

関ケ原合戦 伊勢西街道 島津退け口 無名戦士の墓 大垣市上石津町一之瀬





五輪塔は一時、中学の出口の道を挟んだ向こう側に置いてありました。
当時、広報会長であった方が責任をとって、とりあえずご自分の土地に置かれたそうです。
広報会長は、今では自治会長という役職名になっています。
その後、川西共同墓地に石碑を作って移設しました。



五輪塔は、坂道を勝地峠に向けて登っていく所で、追手に追いつかれたのか、逃れるのをあきらめて自刃したか、それを弔うために置かれていたのかもしれません。
天保12(1841)年の市之瀬(一之瀬)村絵図を見ると、中学校敷地は一面畑で、切り株があった付近に森と神社のようなものが書いてあります。

萩永さんに伊勢西街道の道を聞いて、上石津中学と伊勢西街道が隣接していたことがわかり、五輪塔が退却する道に沿って置かれていたのでないか、その可能性がより増えてきました。
しかし本当は、どこに五輪塔があったのか、川西地区では最長老の萩永さんがわからないので、確かめようがないのは残念です。


下の写真は萩永さんの自宅にある「上石津町一之瀬川西地内(平成2(1990)年5月10日)」の空撮写真です。
矢印は、これまで紹介してきたルートのイメージを矢印で示したものです。
道の跡が残っていないので、あくまでイメージであるのをご了承ください。
関ケ原合戦 伊勢西街道 島津退け口 大垣市上石津町一之瀬




下の写真は、夕方帰宅する上石津中学生。
関ケ原合戦 伊勢西街道 島津退け口 上石津中学 大垣市上石津町一之瀬



以前のブログで紹介した、川西地区の共同墓地を萩永さんにご案内頂きました。

敷地で見つかった無縁仏の五輪塔は、下の写真にあるように石碑に寄り添うように三つ置いてありました。
石碑の左右にある、少し黒ずんだ直径が10センチぐらいの石が二つ。
正面にある、上に穴が開いた石が一つです。
関ケ原合戦 無名兵士の墓 伊勢西街道 島津退け口 大垣市上石津町一之瀬


実は、一人で見に来た時はその石が五輪塔と気付きませんでした。

共同墓地は、桑原家は禅宗ですので、石碑正面から見るとの左手、北側にあります。
そうでない村人、町民、現在は市民ですが、墓は仏教なので石碑正面から見るとすぐ右手の方、南側と、別々になっています。



上石津中学から勝地峠に至る道は、現在林道がきちんと整備されています。
伊勢西街道と現在の林道は、同じ部分と違う部分があります。
萩永さんは小さな頃、勝地峠までよく登ったそうです。




この後、勝地峠に行きました。
標高183mとはそれほど高くはないですが、伊勢西街道の最大の難所と言われていた勝地峠。
宝永6(1709)年の「多良古物語(他書では他の本の記述有り)」によると、勝地峠は「往昔この坂は馬にて行く人も道悪しきため歩いて通るゆえ『歩路(カチジ)』とはいいけるらし」とあります。
※「上石津の石文を訪ねて」(上石津町教育委員会/平成7年3月発行)P9より引用。

地元の伝承では、「歩路」と呼ばれていたのを、秀吉が戦に勝ったことを由来に秀吉が「勝地」と変えたと言われます。


勝地峠に登るまでに、基礎の石に「三界萬霊」と書かれているお地蔵さんがあります。
「新修上石津町史」P668には、「享和四(1804)年の銘があり、多良の田村地蔵につづく建立」と書いてあります。
伊勢西街道 坂の地蔵 大垣市上石津町一之瀬 勝地峠
坂のお地蔵さん。桑原家が作ったと言われていますが、出来た時代で判断すると関ケ原合戦と関係ないと思われます。
林道が整備され、元々あった街道沿いから現在地に移設されました。



勝地峠の碑から、旧伊勢西街道の方を見る。
一之瀬から登ると、写真の奥からあらわれます。

関ケ原合戦 伊勢西街道 島津退け口 大垣市上石津町一之瀬 勝地峠


上の写真と反対側、一之瀬側から伊勢西街道を登ってきて勝地峠の碑を見ます。
この先の林道は、伊勢街道と重なります。

関ケ原合戦 伊勢西街道 島津退け口 大垣市上石津町一之瀬 勝地峠


勝地峠にある案内板。
関ヶ原は雨でしたが、勝地峠に至るまでの道は雪が少し積もっていました。

関ケ原合戦 伊勢西街道 島津退け口 大垣市上石津町一之瀬 勝地峠

勝地峠は、守るにも重要な場所でした。
江戸末期の混乱期、多良の交替寄合であった「高木家は弥冝上(ねぎかみ)番所をここへ移し昼夜交替で士卒が詰めた」と言われています。
「かみいしづの古道ー史蹟と石仏」P9から引用(上石津町教育委員会/昭和62年3月発行)


関ケ原合戦の日、9月15日は新暦で10月21日でした。
前日から雨で、すでに服は乾いていたでしょうが、夜となると肌寒かったと思われます。
戦国時代は現代より、気温が低かったとも言われています。




芭蕉の句である、
「山路来て何やらゆかしすみれ草」
と刻んだ石碑が、さらに多良方面に行くとすぐ近くにあります。

文政13(1830)年の建立で、何百年もの間、多良と一之瀬の山の村境争いがあって和解しました。
今後、こうした争いが無いことを願って、作られたそうです。

芭蕉が来たというわけではありません。
※「上石津の石文を訪ねて」(上石津町教育委員会/平成7年3月発行)P8より引用。



一之瀬の伝承についてですが、参考に大垣市上石津町、川東自治会のホームページに、「地域に残る昔話」とあります。
クリックすると、「落ち武者のたたり」、「七(しち)なんさん」と二つの昔話が紹介されています。

一之瀬の一連のこのブログを書いているとき、見つけました。
「ふる里噺」(上石津町教育委員会編/昭和58年3月発刊)という本になっています。

「七(しち)なんさん」はこのブログで紹介しました。
話の詳細は、少し違っています。
「落ち武者のたたり」は、私が聞いた方では聞けなかった話でした。
他にいろいろな伝承があっても、不思議でないと思います



この地でお会いした方に、伝承で島津らしいふるまいがあったか聞いてみましたが、無いということでした。
期待する方に無理があったのでしょう。
敗残兵となれば、いかに島津と言えども、かっこよくはありません。



なお蛇足ですが、萩永次郎さんは先祖代々この地に住んでいます。
この地に住む萩永姓の方はすべて桑原家の家臣と思っていたのですが、そうでありませんでした。
この地に豪族は二つあったそうです。

家臣は二つに分かれ、一つが桑原氏、もう一つが「りんあん(林あん)」氏。
萩永さんのご先祖は、林あん家の家臣なのだそうです。
「あい」の字は不明です。
林あん氏については、「新修上石津町史」では未確認です。

話が関ケ原合戦からだんだん外れてきました。


上石津町一之瀬に残る、島津退け口の伝承を聞いてきたブログの最後に、一之瀬が度重なる水害を克服し、たゆまない田畑開発を進めてきたことを加えます。
私がお話を聞いてきたいずれの方も、合戦のお話に加え、この地を守ってきた歴史も聞かせていただきました。

合戦のテーマからはずれるので掲載しませんが、「土地改良史」(編集発行 上石津町役場農業振興課/昭和62年12月発行)に、村民、町民が営々と田畑の開発、水害と戦い続けてきた歴史がつづられています。
この地は一般にやせ地が多く、盛んに開田をして増収する必要に迫られていました。(同P46参照)


また同P39には、「大永5年年(1525)、美濃国の守護・土岐頼芸(ときよしのり)は六角氏と組んで、江州の小谷城主浅井亮政(あざいすけまさ)と栗原(くりはら)山・乙坂山間を戦場として戦い、牧田では村を焼かれたり、農地も荒らされ、住民は実に悲惨であった。
つづく慶長5年関ケ原の役では、又しても戦いの渦中に入り、郷土の各地は荒らされ農民はおののいた」
「関ケ原の決戦により、ようやく戦国の幕は閉じ、徳川による幕藩体制の時代になった」
とあります。
島津が薩摩に帰り着いた出来事の裏に、この地に様々な影を落としていったということも見逃すことは出来ません。

関ケ原を始め濃州(岐阜県)、江州(滋賀県)、また日本各地で、戦国時代は常に小競り合いを含めた戦乱がありました。
同じような状況は全国各地に、形は違うがあったと思われます。



関ケ原合戦 伊勢西街道 島津退け口 大垣市上石津町一之瀬
勝地峠に上がる林道で見たサル。
人になれています。
この地区の歴史は、戦乱や水以外に、シカやイノシシ、またサルとも今も戦い続けています。

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