関ケ原笹尾山交流館スタッフブログ

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家康最初陣地(桃配山)

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家康最初陣地(桃配山=ももくばりやま)の駐車場は国道21号線を挟んだ北側にあります。横断の際には、車に注意してください。

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家康最初陣地へと向かう階段状の小道。
400年前、開戦直前の緊迫した状況に思いを馳せながら辿(たど)ります。

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家康最初陣地。手前に写っているのが明治39年碑。
後方に見えるのが、昭和12年建立の国史跡碑です。


                        


1600年9月14日夜半、赤坂(あかさか)本陣の寝所で、西軍の大垣城出立の報を受けた徳川家康(とくがわいえやす)は、ただちに行動を開始しました。池田輝政(いけだてるまさ)・浅野幸長(あさのよしなが)らを南宮山(なんぐうさん)に拠(よ)る毛利勢などの備えとして残しつつ、東軍諸隊を関ケ原方面に西進させ、自らも3万の兵を率いて桃配山(ももくばりやま)に着陣します。

桃配山は、壬申(じんしん)の乱の際、大海人皇子(おおあまのみこ=後の天武天皇)が必勝を期し、配下の兵たちに山桃を配った場所と伝えられています。その後、大海人皇子は見事に勝利を収めて即位。天皇親政の政治を力強く推し進めていくことになります。

家康もまた、壬申の乱という古代史に残る大乱に勝利した大海人皇子にあやかって、この地に陣を敷いたのかも知れません。しかし、緒戦(しょせん)において劣勢に立たされた東軍諸隊を鼓舞(こぶ)するため、家康は早々に戦いの最前線近くまで陣を進めることを決意したのでした。

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