関ケ原笹尾山交流館スタッフブログ

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徳川家康最後陣地

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陣場野公園に立つ徳川家康最後陣地の碑。
奥に見える竹垣に囲まれた土壇は、徳川幕府の命により当地の領主である竹中(たけなか)氏によって築かれたもので、中央に立つ石碑には、「床几場 徳川家康進旗驗馘處」と刻まれています。


                              


9月14日夜半、美濃赤坂(みのあかさか)の岡山(おかやま)の本陣を出発した徳川家康(とくがわいえやす)は、関ケ原東端の桃配山(ももくばりやま)に陣を張りました。

午前8時頃、合戦の火ぶたが切られましたが、戦況(せんきょう)は西軍優位のうちに進んでいきます。劣勢(れっせい)を挽回(ばんかい)すべく、家康は思い切った行動に出ます。
桃配山に置いていた本陣を、戦いの最前線近くまで移動させたのです。それが後に陣場野(じんばの)と呼ばれるようになるこの場所です。

総大将の積極的な姿勢に、東軍の士気(しき)はいやが上にも高まりました。西軍の総大将毛利輝元(もうりてるもと)が大坂城にこもって動かなかったのとは大きな違いです。本合戦で勝利を収めた家康が東軍諸将をねぎらい、敵方の首実検(くびじっけん)を行ったのもこの場所と言われています。

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