関ケ原笹尾山交流館スタッフブログ

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小西行長陣跡

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小西行長(こにしゆきなが)(以下、行長)率いる約6千の兵が北天満山(きたてんまやま)に陣取りました。陣跡碑がある場所は山の麓(ふもと)にあります。

続いて行長について簡単に紹介していきたいと思います。

1558年京都の薬屋の次男として生まれる。その後宇喜多直家(うきたなおいえ)に才能を見出され、武士として家臣となる。その後、秀吉のもとに使者として訪れた際、その才気を買われ、秀吉の臣下になる。キリシタンとしても有名です。

行長の主な活躍といえば、朝鮮出兵(ちょうせんしゅっぺい)ではないでしょうか。

秀吉から先陣を任され数々の戦果をあげました。この活躍からもうかがえるように文治派(ぶんちは)といわれながらも、加藤清正(かとうきよまさ)等と功績を競うなど武断派(ぶだんは)に勝るとも劣らない武力を持っていたのではないでしょうか。

関ケ原の戦いにおいては開戦地の近くということもあり、激戦を繰り広げる形になりました。小早川の裏切りを皮切りに、大谷吉継(おおたによしつぐ)、宇喜多秀家(うきたひでいえ)と総崩れになり、それに続くように行長も退却しました。

行長は逃亡の際、キリストの教えにより自害は禁止されていることを踏まえ自首する形になりました。

最終的には石田三成(いしだみつなり)、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)らと共に京都の六条河原(ろくじょうがわら)で斬首されました。

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陣跡の周りは、ほのぼのとしたのどかな風景がひろがっていますよ

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