関ケ原笹尾山交流館スタッフブログ

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松尾山・小早川秀秋の陣跡

関ケ原合戦 松尾山・小早川秀秋の陣跡

小早川秀秋(こばやかわひであき)は、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の正室、北の政所(きたのまんどころ/高台院(こうだいいん))の兄の子ども、秀吉にとっては義理の甥になります。

秀吉と北の政所の間に子どもがいなかったことで、小さい頃に秀吉の養子となり、北政所によって大切に育てられます。
元服して木下秀俊(きのしたひでとし)、また羽柴秀俊(はしばひでとし)、豊臣秀俊(とよとみひでとし)と名が変わり、周りからは豊臣秀次(ひでつぐ)の次に、豊臣家を継いでいくものと見られていました。



しかし文禄2年(1593)年、秀吉に秀頼(ひでより)が生まれ、運命は急転します。
翌文禄3年(1594年)13歳で、秀吉により小早川家に養子に出され、秀次は自刃、さらに秀秋は城を没収させられます。
見かねた養父の小早川隆景(たかかげ)は、30万石の所領を家督(かとく)相続させます。

16歳の時に参加した慶長の役(1597~8年)では、秀吉の命を受けて釜山(ぷさん)へ、総大将として参戦します。
この戦いで秀秋は味方を救おうとし、自ら先頭に立って行動するのですが、総大将としてあらざるべき、軽率な行動をしたととがめられ、転封(てんぽう)させられます。
秀吉の死後、家康らにより転封は破棄され、以前の所領に復帰することができます。
秀秋はその地で、農民を保護し、農村復興に努めました。



慶長5年(1600)年関ケ原合戦では、秀秋はもともと東軍側にて伏見城入りするつもりでしたが、籠城(ろうじょう)していた鳥居元忠(とりいもとただ)に疑われて拒否され、成り行きで西軍側となりました。
7月21日から、西軍の伏見城攻めに副将として加わります。
8月1日に伏見城が陥落した後、大坂に戻り、8月17日に出陣した後は近江付近を移動し、9月13日頃には柏原にいたと言われます。
秀秋はこの間、何度か家康に、内通の意思を伝える使者を送っています。

9月14日午後、松尾山を守っていた伊藤盛正(いとうもりまさ)を追い出し、1万5千(一説では8千)の隊で着陣します。
実は石田三成(いしだみつなり)は、松尾山に大坂方、毛利輝元(もうりてるもと)、さらに秀頼を入れたいと考えていました。
そこで大垣城主であった盛正に、廃城になっていた山を再整備させ、盛正にその守備を任せていた矢先の出来事でした。

家康と三成は、秀秋がどちらにつくかを疑っていました。
約束を守らせるために家康は、忠義心が厚い奥平貞治(おくだいらさだはる)を軍監として、小早川陣地に入れるなどしていました。
一方で三成は、「秀頼が成人になるまで関白職にする」など、魅力的な条件を出していました。
同日、秀秋の去就は合戦の勝敗を左右させるため、東西両方から勧誘の使者が秀秋に来ています。
秀秋には、稲葉正成(いなばまさなり)、平岡頼勝(ひらおかよりかつ)など、東軍側と通じていた家臣が多く、最初から東軍として出陣する時機をうかがっていたのではないかとも考えられます。

合戦がはじまって秀秋はしばらく、じっと山上から戦いの行方を見ていました。
東軍の形勢は、予想したより思わしくない。
秀秋隊は、しびれをきらした家康隊による鉄砲発砲をきっかけに、大谷吉継の隊へとなだれこんだと言われています。
秀秋の参戦で東軍は一気に勢いを盛り返し、勝敗の動向は決定的になりました。

秀秋は合戦後、その功績により宇喜多秀家(うきたひでいえ)の所領、備前(びぜん)岡山51万国に加増移封(いほう)されます。
しかし2年後、21歳の若さで病死し、家は断絶します。

小早川秀秋陣地跡から、関ケ原盆地を望む
小早川秀秋陣地跡から、石田三成の陣地を望む

関ケ原合戦 松尾山・小早川秀秋の陣跡
実際に登るとかなりの規模の山城であることがわかる。縄張図をもって歩かれることをお勧めしたい。松尾側の駐車場から登ると1時間、反対側の平井の集落からは50分ほどで登ることができる。


関ケ原合戦 松尾山・小早川秀秋の陣跡
この写真は、関ケ原盆地側の松尾からではなく、反対側の平井から登って撮ったもの。正面の土の壁はまっすぐに攻めて来る敵を、方向を曲げさせて勢いを殺すためのもので虎口(こぐち)と言います。


小早川秀秋陣地跡から、石田三成の陣地を望む
松尾山の山頂から麓を見下ろす。現在は木が多く生えているが、当時は今より少なかったと考えられます。また秀秋は山頂にいましたが、大多数の兵は山の麓の方に布陣していたと考えられます。


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