関ケ原笹尾山交流館スタッフブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

島津義弘の陣跡1 昭和15(1940)年、碑が建つ

関ケ原の合戦 薩摩藩・島津義弘の陣跡
薩摩(鹿児島県と宮崎県南西部)の島津義弘(よしひろ)の陣跡は、笹尾山の石田三成(みつなり)の陣より、ほぼ南500~600メートルほど離れた所にあります。
神明神社のすぐ裏、木に囲まれた所です。

関ケ原の合戦 薩摩藩・島津義弘の陣跡


陣跡の中心に、「小池島津義弘陣跡」と書かれた碑がそびえています。
立派で威厳があるように見えます。
先祖を大事にしている、強い思いを感じます。
鹿児島県(宮崎県南西部を含むと考えられる)の有志により、建てられました。

  

碑の表に、「公爵島津忠重書」とあります。
島津忠重氏は、現在の島津家第32代当主、修久(のぶひさ)氏の祖父です。
忠重氏は海軍少将や貴族院議員、華族会館長の経歴を持たれ、島津家の歴史を展示する尚古集成館(しょうこしゅうせいかん)を開設するなどの功績があった方です。
小池と書いてあるのは小池地区に建てたことを示しています。



碑の裏に、下記のように書かれています。
「島津部隊ノ関ヶ原ニ於(お)ケル奮闘ハ正(まさ)二武士道ノ精華タリ其(そ)ノ陣屋跡修築ノ議(意見の意味)は福田武吉先生二余(よ)リテ提唱セラルヽヤ三州(旧薩摩国・大隅国・日向国を合わせた意味か)人士(地位や教養のある人の意味)忽(たちま)チ之(これ)ニ賛(賛成して)シ其ノ事業ヲ本町ニ寄託(処置を頼むの意味)セラル乃(すなわち)チ本陣ニ接シテ(ひとつづきにつなげるの意味)土地ヲトシ(ここでは土地を購入するの意味)碑ヲ建テ永ク其偉績(いせき/偉大な功績の意味)ヲ顕彰ス   
紀元二千六百(西暦1940)年九月十五日 関ヶ原町長 川崎好一識」
(関ヶ原町編集「関ヶ原町史上巻」参照)


碑に書かれている「三州」は旧日向(宮城県の一部)の国を含み、島津として、また住民にとっても、歴史的な一体感がある地域で、特別な意味を持つ言葉です。
旧日向国の地域では、今でも鹿児島弁を話しています。


碑の裏に、関ケ原町長の名前があり、互いにつながりを大切にしていることがうかがわれます。





碑に書いてある「紀元二千六百年」の年には、紀元2600年祭、また関ケ原合戦340年祭がおこなわれたようです。
神武天皇即位から2600年に当たる年と言われ、日本に長い歴史があることを、国の内外にアピールするため、たくさんの催しが開催されました。
「紀元二千六百年」と表示されていることから、この碑がつくられた一つの背景にあったように思われます。

  

最近、島津への注目が高まっています。
幕末・明治維新の時期に、推進力となった人材を生み出す薩摩藩。
関ケ原合戦で、前代未聞の、後世に強烈な記憶が残る戦をした島津隊。

島津は、平和な時代に生きる私たちをも、ひきつけてやまない何かがあります。

関ケ原の合戦 薩摩藩・島津義弘の陣跡


駐車場は神明神社の方にあります。

関連記事
スポンサーサイト

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。