関ケ原笹尾山交流館スタッフブログ

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大谷吉継の墓

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藤川台の木立の中にひっそりと建つ吉継の墓(五輪塔)。訪れるファンが後を絶ちません。
右後方は明治39年碑。写真には写っていませんが、左手には湯浅五助の墓があります。

                            

大谷吉継は、藤川台(藤古川西岸の台地)に陣を構え、東軍の攻撃に備えました。家臣である湯浅五助の介錯により自刃したのも、この付近であったと思われます。吉継の遺言により、彼の首は家臣の手によって土中深く埋められたと伝えられます(異説あり)。
吉継の墓は、関ケ原合戦の際、大谷軍と直接に干戈(かんか)を交えた藤堂高虎によって建てられました。寡兵をものともしない大谷勢の鬼気迫る戦いぶりに「敵ながら天晴(あっぱ)れ!」の感を抱いたとも言われますが、最後に出会った主君家康への忠心を終生守り通した高虎の面目躍如ともいえるエピソードです。また、吉継の墓の隣には、上述の湯浅五助の墓も建っています。
大谷吉継というのは不思議なひとで、彼を巡っては、現代に生きるわれわれの胸を揺さぶるヒューマンなエピソードがたくさん残されています。何か人間性の最も深いところに、時代の価値観に左右されない大切なものを持っていたひとなのかも知れません。

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