関ケ原笹尾山交流館スタッフブログ

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大谷吉継陣跡

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大谷吉継(おおたによしつぐ)の陣跡碑。名は「吉隆」と彫られています。
碑の北方には大谷吉継の墓、東方には松尾山眺望地があります。

                           

大谷吉継は、合戦に先立って山中(やまなか)の地に入り、陣地の構築に着手しています。東山道(中山道)の押さえることが目的だったと考えられます。また、合戦前日、かねてから内応を疑われていた小早川秀秋(こばやかわひであき)が松尾山に着陣したため、小早川隊への備えとしての使命も兼ねることになりました。
大谷隊は、少人数ながら本合戦中屈指の精鋭部隊として、東軍の猛攻を再三に亘(わた)ってはねのけました。しかし、小早川隊に加え、脇坂安治(わきざかやすはる)ら四将が裏切ったことで、戦況は一気に東軍に傾き、大谷隊は壊滅。吉継も自刃(じじん)して果てました。
あまり知られていませんが、大谷吉継陣跡碑のすぐ後ろには、東西数十メートルにわたって空堀の遺構がみられます。
また、当陣跡碑から東に数分歩いた先には、「松尾山眺望地」と名付けられた広場があり、山頂に小早川隊の幟がはためく松尾山を遠望することができます。

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