関ケ原笹尾山交流館スタッフブログ

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平塚為広の碑

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平塚為広の碑。大谷吉継陣跡や大谷吉継墓がある藤川台の東麓に立っています。

                             

平塚為広は、関ケ原とはごく近い美濃垂井1万2千石の領主でした。家康追討のため挙兵する決意を打ち明けた石田三成に対し、大谷吉継とともにその無謀を説いて思い止まるよう説得したことはよく知られています。このとき、三者の関係性がどのようなものだったか、正確なところは分かりませんが、石高の多寡や官位の上下とは別に、ある種の友情のようなもので結ばれていたような気がしてなりません。
こうして為広は、西軍決起の最初の段階からその渦中に飛び込むこととなりました。恐らく彼はこの時点で、類まれな知略を有しながら病のため視力の衰えていた吉継の手足となって働くことを決意したのでしょう。それから関ケ原合戦当日まで、彼と吉継がともに過ごした時間は実に濃密なものだったと思われます。
最後に、為広が吉継に送った辞世の歌と吉継の返歌を紹介します。
・名のために捨つる命は惜しからじ 終にとまらぬ浮世と思へば    為広 
・契りあれば六つの巷に待てしばし 遅れ先だつことはありとも    吉継

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