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関ケ原笹尾山交流館スタッフブログ

軍旗・背旗・馬印

旗には、古来より、現実的にも象徴的にも、それを使用する人や集団の存在を自他に知らしめる役割がありました。
そうしたタイプの旗は、ただ目立つだけではなく、その使用者の「人となり」を端的かつ理想的に表現するデザインを備えています。
国旗・五輪旗などがその代表です。



戦国時代に各武将が用いた軍旗にも同様の意味がありました。
関ケ原合戦に参戦した武将としても、徳川家康の「三つ葉葵」や石田三成の「大一大万大吉」など、それぞれに由緒ある意匠が使われています。

旗というものがいつ頃から用いられるようになったか、その起源はさだかではありませんが、わが国においても、すでに『万葉集』に、美しくたなびく雲を旗に譬(たと)えた「わたつみの豊旗雲(とよはたぐも)に入り日差し今夜(こよい)の月夜さやけかりこそ(中大兄皇子)」※訓読みには諸説あり という歌が見られます。



軍旗(ぐんき)とは、社寺等で宗教的な意味合いをもって使用する旗に対し、軍隊において用いる旗を指す言葉です。
また背旗(せばた)は、その名の通り各人が意匠を凝らして具足の背部に取りつけて用いました。
一方、馬印には、大将の本陣に立てる大馬印、配下の武将が用いる小馬印があり、それぞれ従者の馬印持ちに持たせて進軍したといいます。


軍旗は源平合戦の時代から用いられていましたが、背旗や馬印は戦国時代も末になってから登場したといいます。これらの軍旗・背旗・馬印は、いずれも全軍の結束を強め、士気を高める役割を担っていました。




関ケ原町歴史民俗資料館所蔵の「関ケ原合戦図屏風」にも、多くの背旗や馬印が描かれています。
特に、赤備えの井伊直政勢が、真紅の背旗や馬印をたなびかせて一直線に進撃する姿は印象的です。
当館の甲冑体験コーナーには「関ケ原合戦図屏風」を拡大して写したものがあります。
お寄りの時は、ぜひご覧ください。


関ケ原町内の陣跡碑には、その地に布陣した各武将の軍旗が立てられています。
※風の強い日など、一時的に撤去している場合もあります。

例えば、笹尾山の石田三成陣地からは、松尾山山頂の小早川秀秋の軍旗を見ることができます
皆さんも目をこらして探してみて下さいね。

関ケ原合戦 笹尾山 黒田長政軍旗 福島正則
笹尾山の細川忠興の軍旗。その後ろは福島正則の軍旗。

関ケ原合戦 笹尾山 石田三成軍旗
笹尾山の石田三成陣地の軍旗。「大一大万大吉」の意味は「一人は万人のために、万人は一人のために」と言われています。
                                    

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